肯定と否定のバランスについて
皆さん、お疲れ様です。
長時間睡眠とボクシングとランニングにはまっているderacineです。
さて、今回は肯定力と否定力のバランスの重要性について語って生きたいと思います。
理由としては、最近は世間でも自分の周りでも否定力のほうが勝っていて本来行われることが行われなかったり、いろいろと不具合が大きく発生しました。
たとえば、仕事でも人を叱るときには一方的に否定するような仕方をされると
やる気をなくしますよね。
そこで、叱るのがうまい人のやり方を身近で観察した結果
・叱るのがうまい人は問題を指摘しつつも、その本人の 行った行動のフォローもしっかりしている。そのことによって叱ったほうも叱られた方もお互いに禍根を残さないので別の仕事をやろうという気力が起こる。
アメとムチってこれのことを言っているのかもしれませんね笑
そして、映画などの評価を見るときでも人から共感を得られやすい意見は
自分の面白くなった点を指しつつも、逆に良かった点も指摘していて、
一方的なものいいではなくて相手のいい部分にも焦点を当てています。
そして、それを読む第三者からすれば”客観的な意見”として認知されます。
しかし、これにも落とし穴はあります。
書き手にとって都合の良いようにライティングされた場合は
実際に見てみると違っていたというようになってしまいます。
これを防ぐ方法として挙げられるのが
『百聞は一見にしかず』
一見、矛盾しているようですが何事も怪しいと思ったり、気になる点があれば自分で調べて納得できなければ、実際に見てみる方がいいと思います。
個人的な感想でいうと、服なんかがそれに該当しますね。
よくレビューサイトを見てみて、買ってみたらあまりよくなかった。
であれば、実物を見に行った方が早いです。
よく、時間的コストが~とかという話を聞きますが、これも
百聞は一軒にしかずだと感じます。
時間は確かに惜しいし、面倒であることもよく理解しているのですが
いいものを手に入れたかったらそれに見合う苦労をする必要があります。
逆に言えばこれも、
肯定=服を見に行くこと
否定=時間的コストを節約すること
のバランスで成り立っています。
他の事にもいえます。
話が若干ずれましたが
最初に、最近では否定力が増えてきたという事を話題にしました。
これを打破するためには上記で挙げたような肯定する力を養っていく事が重要です。
そして、否定ばかりしていると、心に黒い雨が降ったような気分になるんですよね。
逆に否定されると敵意から殺意に変わる場合もありますし。
だからこそ、肯定するという事こそが相手を思いやるということでもあり、
真の意味での教養でもあります。(ちなみに『教養が思いやり』は私が尊敬している養老猛司さんの言葉です。)
長くなりましたが、この記事を読んでくださってありがとうございました。