半信半疑の重要性
皆さん、お疲れ様です。
謎の頭痛に悩まされているderacineです。
さて、今回は疑うという事の重要性について語っていきたいと思います。
理由としてはある記事を読んで、疑問に思う事が多くあったからです。
では、疑問に思った点についてまとめていきたいと思います。
なぜ、疑問に思ったのか?
以前に怪しい統計学に注意という記事で、統計学の恣意的なデータの改ざん等に触れましたが、これも問題としての根は同じです。
理由として、与えられている情報がほぼ一方的だからです。
どんなに正しい事であろうとそれを信じる根拠が確かなものでなければ崩れ落ちてしまいます。
そして、今回疑問に思った直接的な理由は記事を読んだ方々が感想欄で
単なる感情論のみで他者の考えを否定して安全と自分に都合がいいように
おっしゃっていたからです。
ロジカルシンキングと呼ばれる論理的思考法(例を挙げるなら有機的自問自答、無機的検証法)に基づくならば、こういった発想はやめたほうがいいです。
私が疑問に思ったのもこれに基づいています。
疑問に思った理由について考える→なぜ、そう思ったか(原因と因果関係について考える)→原因の追求(AだからBと考えられるであろう考えがAだからCだと書かれていたから)→原因はそれひとつか(有機的自問自答)→それが終わりかすべて終わりか、否か(無機的検証法)
端的に言うとおかしいと思われる原因について、明確な例をひとつあげて
それにそって解決へと導くということを行っています。
疑問の解決
確実な根拠がなければ問題の解決はできません。
今回の事を例にとると、AはBでありBはCだ。
式にすると A=B B=C →A=B=Cであれば問題ではありません。
これではA=Cがなりたちます。
しかし、AはCであり、BはDある。
この場合だとA=C B=Dでありますがこれら二つを関連付けするためには検証が必要です。
たとえば、物質Aから出る放射性物質は(実験の結果)安全である。
この場合は物質Aは安全と言えます。
そして、次にAとBが性質上似ているとします。
『Aが安全(C)であるのでBも安全(C)であるといえる。』
ひょっとしたらB=D(危険)かもしれません。
この場合はAとBに相関関係があり、安全といえる確実なデータが存在するからいえるのであってAが安全だからBが安全ということは必ず成り立つとは限りません。
普段の生活の中でもすぐに飛びつかず、一瞬でも考えてから行動すると
かなり違います。
以前は、私も計画を立てたら細かい事に目もくれず行動を起こしてしまいたまにミスを犯していましたがこの考えを取り入れてからはそういった事は極端に減りました。
気になる方は有機的自問自答と無機的検証法について調べてみてはいかがでしょうか。